コラム

グリーンスパンと私

日本経済新聞 主幹 岡部直明

世界中がそのひとことに耳を傾けた。米連邦準備理事会(FRB)の議長を18年半もの長きにわたって務めたアラン・グリーンスパン氏は、単なる「通貨の番人」にとどまらなかった。米国の「第二の大統領」であり、さらには、この歴史的なグローバル時代に世界経済の最高指導者だったといえる。FRB議長として、これだけの影響力をもった人物はほかにはいない。もし、グリーンスパン氏の絶妙の采配がなかったら、激動する世界経済は「波乱の時代」を通り越して「混沌の世紀」を続けていたかもしれない。


「巨匠」「カリスマ」の名をほしいままにしたグリーンスパン氏だが、私には物分りがよくて穏やかなおじさんにみえて仕方がない。氏に初めて会ったのは1985年春のことだ。日本経済新聞のブリュッセル特派員からニューヨーク支局長になり、米国の右も左も分からないなかで、まずインタビューしたのが氏であった。米大統領経済諮問委員会(CEA)委員長を終えて、ウォール街で民間エコノミストになっていた。米国経済が抱える課題を最もバランスよく説明してくれると先輩から聞かされていたからだ。

インタビューを終えて、ぼそっと「君の英語は前任者よりうまい」と励ましてくれたのを覚えている。英語の達人だった前任者に及ぶはずはない。それでも、いい気分にさせてくれた。以来、たびたびウォール街の地味なオフィスを訪れてインタビューした。その内容はバランスが取れている分、正直言って面白みには欠け、記事が国際面の3段以上になることはなかった。当時、売れっ子のヘンリー・カウフマン氏へのインタビューが必ず1面に載るのとはだいぶ違った。

緊急の場合、電話でコメントを取ることもあった。不在だと、律儀にかならず電話をかけてきてくれた。秘書が「アランから」と告げる。こちらは「アラン、それともアレン」と聞き返す。若手のエコノミスト、アレン・サイナイ氏と間違わないためだった。


グリーンスパン氏に共感を覚えたのは、その経済観だけではない。「野球」と「音楽」という共通項があるからだ。

最近、久しぶりにグリーンスパン氏に会った際にも、話題は当然のように「野球」と「音楽」に及んだ。

著書「波乱の時代」によると、ジョー・ディマジオが新人だった1936年のワールドシリーズでのヤンキースの先発メンバーとその打率を覚えているという。打率の計算が数字に強いエコノミストとしての出発点だったようだ。氏自身も14歳まで左利きの一塁手としてプレーした。少年時代、あのルウ・ゲーリックになりたかったという説もある。私もニューヨーク駐在以前からのヤンキース狂で、打率はともかく各時代の打順をいう競争なら多分負けないだろう。

グリーンスパン氏がジュリアード音楽院に学んだプロのクラリネット、サックス奏者だったことは知られている。日本の真珠湾攻撃の日も部屋でクラリネットの練習をしていたと書いている。私自身、クラシック・ギターに熱中していた。プロとは比べようもないが、楽器を操る難しさと音楽をする喜びは通じ合える。

著書のなかでグリーンスパン氏は「ソロを吹きたいとは思わない」とし、「伴奏」で満足したと述懐している。これは楽器の性格もあるが、どちらかというと控えめな氏の性格もあるのではないか。あるいは、経済という音楽にとって「市場」こそ「主旋律」であり、中央銀行は市場を生かす「伴奏者」であるという認識があったのではないか。


グリーンスパン氏がFRB議長として成功したのは、だいいちに「市場の人」だったからである。まず議長就任早々に、ニューヨーク市場の株価暴落(ブラック・マンデー)に遭遇する。ダラスに出張中にこの知らせを受け取ったが、パニックになることはなかったと書いている。「助けてくれ」と電話で訴えるハワード・ベーカー大統領首席補佐官には「何か御用でも」とわざとのんびり話したというくだりは面白い。

軍用機でワシントンに戻ったあとは、各方面に電話をかけまくる。金融界首脳に「落ちつけ、暴落は抑えられる」といい続けたという。そこにはウォール街の経験が生きていた。

徹底して流動性を供給するというFRBの短く断固とした声明が危機を防いだ。それは市場に「グリーンスパン神話」が芽生える一瞬だった。

ブラック・マンデーの教訓は、18年半の議長生活の基調になったはずだ。株価の動向には目配りを忘れなかった。株価急上昇に「根拠なき熱狂」と一度警告したが、そのときも株価が高すぎるとは考えていなかったと述懐している。グリーンスパン流金融政策はつねに市場を驚かせない微調整型に終始した。


「市場の人」であるグリーンスパン氏は同時に「政治人間」でもあった。ウォール街にいた時代も「いつもワシントンの動きに注目していた」と書いている。実際、その当時、インタビューの途中で「ジェームズ・ベーカー財務長官に呼ばれたからワシントンに行く」といって、席を立ったこともある。

この著書「波乱の時代」はグリーンスパン議長のワシントンでの多彩な人脈が浮かび上がる。CEA委員長だった時代のフォード大統領以来、歴代大統領に経済をレクチャーしてきたが、そのなかで一番しっくりきたのがクリントン大統領だったと側近が教えてくれた。この時代、ルービン、サマーズ両財務長官との組み合わせも絶妙だった。米国は財政黒字に転換し、情報技術革命をてこに生産性を向上させて、「黄金時代」を築いた。

これに対して、せっかくの財政黒字を再び財政赤字にしたブッシュ政権には「失望した」と述べている。「経済政策当局にとって決定的な問題は、財政赤字が経済に打撃を与えるかどうかではない。どこまで打撃を与えるかなのだ」と言明する。財政健全主義者の真骨頂である。


グローバル経済はグリーンスパン時代に歴史的な転換をみせた。議長就任当初は必ずしも国際派とはみられていなかった議長がいかにグローバルな視野に基づいて政策を展開していたかがこの著書からうかがえる。日欧という先進国との調整だけでなく、台頭する中国、転換するロシア、そして激動する中南米と視野を広げていた。実力者との交流を通じて情報を収集していたのは驚異的である。それだけに、グリースパン氏の資本主義観はグローバル時代に生きてくる。

FRB議長時代、グリーンスパン氏は景気局面が微妙になったときほど、わかりにくい表現を使った。翌日の新聞各紙で見出しが正反対になるのをほくそえんだとさえいわれる。しかし、この著書「波乱の時代」ではグリーンスパン語は影を潜め、実にわかりやすく書かれている。サブプライム問題でグローバル経済が再び大きな転機を迎えているときである。「波乱の時代」にあって、グリーンスパン氏は著書を通じて市場と国家のこれからに指針を示そうとしている。