アジア版への序文

二〇〇七年六月、東京を訪れたとき、雲の合間に太陽が輝き、暑かった。銀行や保険会社の経営者など、金融業界の幹部と意見を交換するのが訪問の目的であり、もう何年も前からの知り合いも多かった。日本側の出席者は会議で、日本社会が急速に高齢化しており、一九七〇年代、八〇年代の栄光の時代とくらべて経済が低迷していることに懸念を深めていると語った。中国をはじめとする東アジアの他国が歴史上稀にみる好景気にわいているだけに、日本経済の低迷に対する懸念が倍加していた。


たしかに日本が直面している問題は大きい。だがわたしの見方はもっと微妙だし、それほど暗くはない。いま、激変が起こっているのは疑問の余地がない。日本だけでなく、先進世界の全体がいま、長期にわたって握ってきた経済的な主導権のうちかなりの部分を失う過程にあり、中国、韓国、シンガポール、香港、台湾、マレーシア、タイなど、高成長を続ける東アジアの国と地域が代わりに台頭しているのである。二〇〇〇年から二〇〇六年までに、東アジアのこれらの国と地域は世界の国内総生産(GDP)に占める比率を大幅に高めており、二〇三〇年までこの比率がさらに上昇すると、世界銀行は予想している。


つい最近の一九九七年に、東アジアの多くの国が深刻な金融危機に見舞われ、国際社会による大規模な救済が必要になった。これらの国と地域が十年もたたない間に、債務危機から抜け出し、世界経済を牽引する役割を果たすまでに経済の転換を達成できたのは、なぜなのだろうか。何よりもまず、決定的な一歩として、固定為替相場制を放棄した。固定相場制が、自国の経済をドルに縛りつけることで、経済を崩壊寸前になるまでに悪化させた金融慣行を生み出していたからだ。キャリー取引と呼ばれる安易な方法を使って、先進国から外貨を借り入れ、ヘッジをしないまま固定相場で自国通貨に換え、国内の高い金利で貸し出していたのである。この取引はしばらくの間は利益を生み出したが、結局は債務不履行が東アジアからロシアに波及し、アメリカにさえ波及しかねない状況になっている。


この危機については、本書で後に論じる。国際金融システムにはまだ部分的にしか関与していなかった中国が危機を無傷で乗り切ることができたのはなぜなのかも取り上げる。現在、東アジアの中国と新興工業経済地域は、実質GDP成長率が四パーセントから十パーセントであり、日本や欧米先進国を大きく上回る成長率になっている。インフレ率は一桁台であり、長期金利もやはり一桁台である。


日本で開発された輸出主導型の経済成長モデルが、後に「アジアの虎」に採用され、さらに後に中国に採用されて、東アジアが予想もされなかったほど繁栄するようになった経緯は、本書の主なテーマのひとつである。現在、世界の投資資金を賄う貯蓄のうち四分の一は、日本と中国で生み出されている。東アジアの新興工業経済地域が五パーセントを供給している。わたしは、冷戦の終結が最近の歴史のなかで、経済という観点からもっとも重要な出来事だったとみている。冷戦が終結した結果、東ヨーロッパはもちろん、中国など、第三世界と呼ばれていた地域の多くで、教育水準が高いが低賃金の労働力が大量に、世界の競争市場に参入することになったからである。ベルリンの壁の崩壊によって中央計画経済が経済体制として失敗であり、機能しないことがあきらかになると、共産党が指導する中国はそれ以前から続けていた市場資本主義への慎重な移行を加速している。


中国では、財産権の保護が強化されたのに刺激されて、対内直接投資が一九九一年の四十億ドルから、二〇〇六年には七百億ドルを上回るまでに急増した。直接投資にともなって導入された先進的な技術を活用したうえ、輸出が爆発的に増加したことから、中国の経済成長率は十パーセントを超えるまでに加速した。日本をはじめ、東アジア各国では輸出の方向が大きく変わった。部品などが中国に輸出され、低コストで組み立てられた後に、先進国市場、とくにアメリカ市場に輸出されるようになったのである。


東アジア経済の爆発的な成長は世界全体の経済にとって追い風になったが、これがいつまでも続くとは予想できない。第一に、日本や欧米から導入した技術によって、東アジア各国は先進国をはるかに上回る生産性伸び率を達成できているが、先進各国は技術水準が最先端にあるので、イノベーションによって徐々に生産性を高めていくしかない。東アジア各国の生産性伸び率は現在、三・五パーセントから九パーセントの範囲だが、いずれ年三パーセント以下に低下することになる。この三パーセントという生産性伸び率は、後に論じるように、人間の知識の向上によって達成しうる限界だとみられる。しかし、そこまで低下するのは、はるかな将来かもしれない。


それまでの間、東アジア経済は好調を維持するだろう。東アジアのGDPで圧倒的な比率を占める日本も、一九九〇年の株式市場と不動産市場の暴落の後、十五年にわたって続いた低迷から抜け出そうとしている。そして、社会の急速な高齢化に直面して、金融の孤立状態から抜け出そうとしている。孤立状態が頂点に達したのは二〇〇三年であり、その一因は日本人の大多数が豊富な貯蓄を円建て資産に投資するのが、国を愛する以上、当然だと感じているかのように行動してきたことにある。海外への投資をためらってきたため、家計や保険会社、年金基金を中心とする巨額の貯蓄が、直接にか、巨大な郵便貯金を通じて間接的に、日本国債に投資されてきた。この投資資金が巨額にのぼることから、十年物日本国債の利回りは〇・五パーセントまで下がり、その時点で三・六パーセントだった十年物アメリカ国債利回りと比較して、理解しがたいほど低くなった。日本国債の発行残高のうち、海外の投資家に保有されている部分はわずか三パーセントにすぎなかった(その大部分は、分散投資を必要とする国際債券ファンドに保有されていた)。これに対してアメリカ国債は、三分の一以上が海外の投資家に保有されている。長期金利がここまで低かったことから、日本銀行は短期金利をゼロ近くに維持できた。


円建ての金利が低く抑えられ、他国との金利差が大きかったことから、別の種類のキャリー取引が盛んになった。日本の金融機関は海外で得られる高金利を利用するのではなく、低金利で外国人投資家に間接的に円を貸し付け、外国人投資家が利回りの高い資産に投資して利益を得られるようにした。信用リスクがないに等しい証券に投資されることも多かった。金利差が大きいために、為替リスクはほぼ吸収できた。日本は外国人投資家に助成金を支給してきたようなものだ。しかし二〇〇三年からは、この状況が変化している。日本人投資家も、利回りの低さに我慢できなくなったようで、海外に投資先を求めるようになった。この結果、自国資産選好が薄らいでいる。日本の純対外投資は二〇〇三年第一・四半期の三兆四千億円から、二〇〇七年第一・四半期には六兆七千億円に増加している。二〇〇三年以降、郵便貯金の残高は二十パーセント近く減少しており、発行される日本国債のうち三分の一以上を海外の投資家に販売せざるを得なくなった。国内の需要が減少し、海外の需要を引きつける必要があるため、十年物日本国債の利回りは二パーセント近くになった。これでもまだ低いが、一時とくらべれば大幅に上昇している。個人投資家による国際型投資信託の購入が急増している。


日本の投資家が海外に積極的に投資するようになって、日本の銀行もグローバル市場でふたたび活躍するようになった。国内の不動産価格が二〇〇六年に底を打ったことから、銀行は長年にわたって抑制してきた貸出を通常に戻している。要するに日本は、デフレが弱まり経済成長率が上昇してきたことから、経済面で「普通の国」に戻ってきたのである。


いうまでもなく、日本は今後、人口と労働力の減少を特徴とする厳しい現実に直面する。この点は後に論じるが、出生率が予想外に上昇するか、文化の衝突を覚悟して大量の移民を受け入れないかぎり、世界と東アジアのGDPに占める比率が低下するとともに、日本の国際的な地位が低下していく可能性が高い。とはいえ、日本は今後も豊かな国、技術と金融の両面で世界的な強国の地位を維持する。そして二十一世紀は東アジアのすべての国にとって素晴らしい世紀になるだろう。中国、韓国、シンガポール、台湾などのスターが繁栄と成長を達成するからである。