著者プロフィール

アラン・グリーンスパン

Dr. Alan Greenspan

1926年ニューヨーク生まれ。マンハッタンのワシントン・ハイツ地区で育つ。ジュリアード音楽院にてクラリネットを学び、プロのバンド奏者として働く。 その後ミュージシャンの道を断念し、ニューヨーク大学に進む。54年、経済コンサルティング会社〈タウンゼント・グリーンスパン〉社を設立。74年から77 年にかけてフォード政権で大統領経済諮問委員会(CEA)委員長をつとめる。87年、レーガン大統領によってFRB議長に指名され、2006年に退任するまでの18年間その地位にあった。 就任直後のブラック・マンデーを巧みな金融政策で乗り切ったことで市場の信任を得た彼は、90年代に入るとアメリカ経済の未曾有の繁栄を演出し、さらにアジア通貨危機やLTCM破綻といった経済危機を見事に収拾したことで、「マエストロ(巨匠、名指揮者)」と呼ばれた。 FRB議長を退任した現在は、イギリスのブラウン財務相の名誉顧問、ドイツの金融最大手、ドイツ銀行の顧問などをつとめている。妻はNBCテレビの外交問題ジャーナリスト、アンドレア・ミッチェル。

5歳

5歳のとき。生まれた直後に両親が離婚し、母親に育てられた。



ヘンリー・ジェローム楽団

大学には進学せず、名門音楽学校ジュリアード音楽院でクラリネット、ピアノ、作曲を学んだ。その後、プロのバンド奏者になったが、芽が出なかった(左端)。



 
1950年のわたし

1950年。音楽で生きる道をあきらめてニューヨーク大学に入学。卒業後、エコノミストになった。

タウンゼント・グリーンスパン

1954年、経済コンサルタント会社〈タウンゼント・グリーンスパン〉を設立。ここで58年の景気後退を予測して的中させ、注目を集めた。



経済諮問委員会




フォード大統領(左)に指名され、大統領経済諮問委員会(CEA)委員長に就任。CEA委員長はエコノミストにとって、財務長官、FRB議長と並んで重要なポスト。



1987年

1987年6月、レーガン大統領からFRB議長に指名される。





クリントン

クリントン大統領と。



 
結婚式

1997年、NBCの花形記者アンドレア・ミッチェルと10年以上の交際のすえ結婚。曖昧な「グリーンスパン語」のおかげで、アンドレアがプロポーズに気づいたのは「3回目」と言われているが、グリーンスパン本人によると「じつは5回目」だという。

バーナンキ

2006年、18年間つとめたFRB議長を退任。後任のベン・バーナンキと。





*写真は、すべて本書口絵より